日本の冬。
ストゥーパみたいな、
雪のお饅頭が
いたるところに。
妊婦検診は、
次回の14回目で
市から提供されていた
無料チケットが切れる。
(以降の受診は実費)
予定日通りに
生まれたらよいけど、
自然にお任せ〜。
エコー画像は
筋肉などがしっかりすると
超音波をはじくそうで、
ぼんやりしてきました。
右の写真が顔の輪郭、
左は胴体輪切りです。
厳選して買った消耗品や、
必要と思われるもの。
それでも、たくさん。
(この他にもまだある)
洋服、肌着などがほぼ
いただきもので賄えたのが、
とてもありがたかったです(感謝)
病院の電話番号や、
面会時間などを家族用にメモ。
テレビで見た
フライパンで出来るという
プリンの蒸し方を実験。
…底に敷くのは、
タオルって書いてあったのに、
目の詰まった布を使ったら、
波打って器がひっくり返る。
大失敗。
気を取り直して、
味噌蒸しパン。
ふんわりしないなぁ。
味はうんまい。
夜の露天チャイ屋さん。
本日で、
インド旅の記録写真も
ひとまずお仕舞いです。
2009年1月23日
コルカタへ向う列車の旅。
時折10分くらい停車する
小さな地方の駅で、
揚げたてのパコラ(インドの天ぷら)
などを買って、
車内で食べるのも楽しい。
車窓からの景色。
遠くの煙突は、
レンガを焼く作業場。
たくさん、積み上げられている。
送電線は日本でも
見る形だけれど、
猫耳みたいで好きなタイプ。
船着き場。
(ノートのメモから)
真っ青な湖があったかと思えば、
赤茶けた荒地になり、
たった今は、
大木すら枯れかけている場所。
農薬まきすぎてない?
大きな河の岩が
むき出しになったところを、
牛の群が斜めに渡っていく。
曲がりくねったあぜ道の
不均一な畑、
干上がった水の流れかと
思うような茶色い線が
生活道路だと分かるのは、
線路が横切る際に、
ささやかな看板が立っているから。
ヤシの木を見なくなった。
家々の雰囲気がどこか、
沖縄っぽい。
東屋の形も、傘みたい。
朝ご飯は寝ていて頼み損ねた。
どこかの駅で揚げ物でも買おう。
車内販売で、
ざるカゴに数種類の豆と
包装用の新聞紙を入れて、
頭に担いでいるサリー姿の女性。
大木の下に白い台が見える。
亡くなった人を寝かせておく場所。
そこいら中で見かける。
たまに、サリーで包まれた遺体が
安置されている。
3:03pm、車内は軒並み
お昼寝モード。
5:07pm、
しばらく西日に見とれていた。
少し前に、
スラムの前で列車が止まり、
外から男の子が二人
見上げていたので、
ライラッパを二つ投げた。
受け取って、
嬉しそうに去っていった。
小さな駅の売店には、
まだ素焼きのチャイカップがあり、
今停車している駅で、
バナナ6本20円。
もう一泊、車内だわ。
昨夜はやっぱり冷えたー
すきま風が顔に吹き付ける。
8:36pm、
冷めたプーリーと
サブジ弁当(味は良い)20円 と
バナナ2本、チャイで夕飯を終えて、
歯磨きもして、スッキリ。
1月24日。
6:14am、
明日で旅も折り返しかー
朝は寒かった。
ホカホカ固ゆで卵と
チャイで朝ご飯。18円
あったかくて、体が喜んだ。
サモサとカリカリクリスピー揚げもの、
各1。うまい。12円。
橋の形が良い。
朝の道を、女性が歩いてる。
土壁や屋根の雰囲気が、
日本の田舎に似ている。
更に稲作もしているらしく、
田んぼに一列に並ぶ姿も。
東に寄ってきたんだなー
しばらく乗降口に立って、
髪の毛をぼさぼさに吹かれながら、
外を見ていた。
カワセミかオオルリ、
奇麗な鳥が水辺に。豊かだねぇ。
植物の葉っぱを、
きれいに斜め編みした
家の壁は工芸品のようだ。
大きな池がたくさん。
浮き島の上に小さな小屋。
船で行き来するらしい。
宝石のように瞬く景色。
間に合ったな、と思う。
日本のように100年で
全てが入れ替わることも、
確かにあるから。
インドの東端、
コルカタのハウラー駅に到着。
広大で立派な駅舎です。
通勤途中のインド人に
混じって、
朝のフーグリー川を
フェリーで越える。18円。
ガンジス川と呼ばれた流れが
海に注ぐ場所のひとつ。
ハウラー駅に通じる
ハウラー橋をくぐって、
バーブガートという
対岸の船着き場へ。
そこから安宿街の
サダルストリートへ
サイクルリキシャーで移動。
40円。
他の町での移動は
三輪オートが多いですが、
コルカタでは自転車タクシーが
まだまだ多い。
リキシャー、は、
日本の『人力車』が語源。
改装作業中だった、
タイムズゲストハウスに投宿。
一泊500円。
ホコリと排気ガスにまみれた
樹を眺められる、
ガラスなしの大きな
窓付きの部屋。
赤い実を頭頂の赤い
緑の鳥がついばみにきている。
(今思えば、青ゲラ?)
まずやることは、
ウェットティッシュで
棚の上などを拭き掃除。
それからバックパックの中の
荷物を並べます。
ホテル一階にある、
人種のるつぼのような
チューリッヒレストラン。
エッグカレーと
ヌードルスープ。250円。
ネットカフェでメールチェック、
ブログ書き込み、2.5時間で100円、
ニューマーケットで
洋服3点。1,050円。
コルカタ名物、カティロール。
エッグ&ベジ1本、40円。
チベタン屋台で、
ガントク。ベジモモ5個。
スープ付きで、20円。
ひよこ豆の
モヤシマサラ。10円。
屋台を食べ歩くのが楽しい。
庶民の味は、安くて美味。
タブラの巨匠、
アニンドチャタルジー。
コルカタに来た目的は、
ドーバーレーンという
北インド古典音楽祭を
聴きたいが為。(通し券600円)
夜に始まり、
明け方に終わります。
この日は、朝の7時に終了。
ドゥルパドという古典声楽。
ブンデチャブラザーズ、
兄弟ボーカル。
日本からインドへ
冬の数ヶ月間だけ
音楽修行に来ている人が沢山。
私には、日本国内よりも
この場所で会える確率の
高い人が多かった。
宿に戻って一眠り。
ベンガル料理レストランで
ご飯を食べたり、
ネットカフェに立ち寄ったり。
夜は再び、
ドーバーレーンで
音楽三昧。
通奏低音を流す機械が
売られていた。
今はiPhoneのアプリが
その役目を交代したけれど。
2009年1月26日の朝。
会場で合流した
女性ボーカリストえいりちゃんが、
ホームステイしているお家へ。
朝食をご相伴。
タマネギ入りエッグトースト、
バナナ、ラスグッラーというお菓子、
ミルクなし紅茶、
どれも美味しい。
インドの国産車は、
可愛い形。
イギリス統治下時代の
なごり。
この日は、祝日。
インド共和国記念日でした。
香港という中華レストラン。
豆腐野菜、ベジスープ、
中国茶。256円。
ネットカフェに
デジカメを繋いで、
ここでウィルスが入り、
SDカードから一切のデータを
取り出せなくなる。
19日間ですっかり黒ずんだ
旅のノートを閉じて、呆然。
1月27日の写真が、
1枚だけ残っていました。
甘いもの屋さんで
ラスグッラー、マラーイーチョムチョム
というミルクスイーツを
素焼きカップに入れてお持ち帰り。28円。
画面の奥には、
黄色い路面電車が走っている。
このあとも、
旅は2月11日まで続きました。
1月28日 コルカタ出発・ダージリンへ。
1月29日 電車と乗り合いジープを経て、
霧の町、ダージリン到着。
1月30日 映画館でスラムドッグミリオネアを
見て泣く。
冬のダージリンはシーズンオフ。
とても寒い。湯たんぽを貰って眠る。
1月31日 4時に起きてタイガーヒルのご来光を見る。
世界遺産の山岳鉄道、トイトレイン乗車。
ジープチャーター、ゴンパ巡り。
2月1日 ブティアブスティゴンパ訪問。
頭痛、喉の痛み、早めに休む。
2月2日 乗り合いジープで下山。
電車で再びコルカタへ。
2月3日 ODAの仕事でインド在留中の
上原夫妻のお宅にステイ。
インドの高級マンションは
美しかった。
2月4日 インド音楽奏者3人と合流。
ご飯を食べて、別れる。
シャンティニケタンの
最寄り駅行き夜行列車に乗る。
2月5日 タゴール大学見学。
ベンガル地方の刺し子、
カンタ刺繍が特産品。
マーケットを見たり、工房を見学。
2月6日 昼過ぎにコルカタへ電車で戻る。
車内で隣り合わせた
アーティストの男性は、
上原夫妻の友達だった。
この頃は、日々、
偶然ばかり起こっていた。
4時間以上遅延した夜行列車で、
バラナシへ出発。
2月7日 アムリトサルへ戻る途中の家族が
車内で楽しく親切に、
面倒をみてくれる。
タゴール大学の学生さんが
寝台の隣の席で、
何故か、大学から来ましたか?と
話しかけられる。当りだけど、
何となくそう思ったらしい。
大幅に遅延して、バラナシ到着。
2年連続してお世話になった宿に
3回目の投宿。
2月8日 ベンガリートラを歩き、
ガンジス川を眺めてボーッとする。
デリー行きの夜行列車に乗車。
2月9日 フマユーン廟を見学、
バハーイーテンプルを遠くから見る。
2月10日 スーララジクンドへバスで。
素晴らしい工芸品祭りを散策。
インド各所のクラフトの
一級品が並ぶ。
お尻の毛まで、抜かれそうに
買い物してしまう。
中近東の屋台があったり、楽しい。
2月11日 深夜、空港に到着。
4:30amインド発の飛行機。
香港で乗り継いで、
22pm前に成田出発。都内泊。
2月12日 新潟の自宅に無事、帰宅。
5年も経てば
細胞ごと入れ替わって、
まるで別の日常になった。
このタイミングで
あの旅を思い出せて、
良かったです。
お付き合いいただき、
ありがとうございました!