本日は、個人的な
書き留め更新です。

11-22-26

保育園に娘を
迎えに行くと、

「ねぇ、ママはどうして
お仕事するの?」

一番最初に
思いついた答えは、

「そうだねぇ。
昨日、そらちゃんが食べた
プリッツ。

あれを買うときに、
お金と交換したでしょう。


11-22-24

ママがお仕事すると、
お金をもらえるんだ。

お金はいろんなものと
交換できるんだよ。

ヒーターの灯油も
お金で買うよ。

だから、働いているんだよ」

「ふーん」


11-22-42

*雲海モーニング。

 後山トンネルの近く、
 誰も通らない場所を見つけた。

次の日のお迎えで再び、

「ねぇ、ママはどうして
お仕事してるの?」

…お金、じゃないな。
一つ先まで考え直す。


11-22-41

「ママが古いものを売ると、
喜ぶ人がいるんだ。

捨てられちゃう
古いものも、

ママが仕事すると
助かるから喜ぶよ。

そうやって、
誰かが喜ぶと
ママは生きてけるんだよ。


11-22-40

*冬季閉鎖していて
 入れなかった魚沼スカイライン手前。
 うっすらと黄金の雲海、
 見えるでしょうか…

そらちゃんも
そのうちお仕事するけど、

自分のやれることで
誰かが喜ぶことを、
仕事にすればいいよ」

「ふーん、そうかぁ」


11-22-36

*藁細工のヒンメリが
 西日の中で揺れてた日

辛さ=仕事だった。

20代の頃はそう
教えられることが多かった。


11-22-39

*真弓の木の紅葉が美しい

また別の日に
娘が言う。

眉を少し八の字にして
微笑みを浮かべて、

「ママ〜。

そらちゃんが死んだら
また新しい
そらちゃんを産んでね」

「お別れなんてやだよ!」

「ごめんね。
もう、お別れなんだ」


11-22-48

少し困ったような
穏やかな笑顔。

背筋がゾワゾワ、
想像するだけで怖くて
泣けてくる。

2年と9か月しか
一緒にいなくても、

これほど
つながっている感覚が
あるのに。


11-22-28

「このそらちゃんが死んだら、

次に生まれてくる子は
もう違う子なんだよ。

そらちゃんは、
そらちゃん一人だけなんだよ。

代わりなんて居ないんだよ」

「違うよ。

ぜーんぶが、
そらちゃんなんだよ」


11-22-21

…。

つい最近まで
彼女には境界がなくて、

本当に世界と一つで、

外界と自我が
分離していなかったんだ。

自分の体がどこまでかを、
やっと習得したくらい。

その感覚が残っていると、

お別れはそれほど
悲しいことじゃないんだ。


11-22-22

*実家近くの鎮守様で
 農機具小屋が解体中、
 寂しい。

無視されても
一人遊びしてる男の子に
話しかけるのは、

誰とでもすぐ遊び始めるのは、
境界線が曖昧だから。


11-22-23

*坂戸にある
 テイクアウト専門のピザ屋
 ピッツァタルトさんの熱々で、
 簡単夕ご飯だった日。

この話には
すぐオチがついて、

「それじゃ、今日は
悲しいけれどもうお別れか…

明日のそらちゃんに
会いたいな。

明日また、
会ってくれるかい?」

「うん!いいとも!」

ただの言葉遊び。


11-22-20

*近くのお店も開拓中。

世界と自分が
一つだった感覚から
いつの間にか分離して、

寂しさを知ったけれど、
目の前のモノや人の
全てが自分でもある、

と考えると、

自分一人の世界が
急に広がって、

ずっと優しくなれる。


11-22-25

子供達から
教えられることが、

たくさんあります。