3-5-8

小川がうまれてから、

晴れた日には輝いて、
誰かがお洗濯したり小鳥が水浴びしたり
笑顔が歌があふれる。


3-5-7

雨の日には氾濫して、
誰かが泣く声も聴こえない、
大きくまわりを痛めつける。

それでも残るのは肥沃な大地。


3-5-6

私たちは、小川に似てるなぁ、
と、この数日、おもっていた。

うまく傷つけることができたら、
そこに恵みの多い学びを、
そんな栄養を残せるだろう。


3-5-4

できたら、ずっと、
自尊心を輝かせるような言葉を
与え続けたいけれど、

それでは、何故だか、
いつの間にやら
淀んでしまうこともあるみたいだ。


3-5-9

私もそうだな。

甘い言葉で虫歯になる。
甘いから、しばらくずっと
わからないんだけど。


3-5-5

投げかけた言葉の行く先は、
受け取る側のモンダイだから、

と、投げっぱなしのボールは
キャッチボールにはならない。


3-5-2

私たちは、
ピッチングマシーンじゃない。


3-5-1

何が違うんだろう。

トラウマみたいに
いつまでも疼きつづける傷なら、
愛がないかも知れない。

言葉を受け取った相手を
萎縮させる、させ続けてしまうか、

が、もしかしたら、
見分けるコツに、
なるかもしれない。


3-2-3

昭和30年の東京散歩。

紙質が良いです。

そして、建物が少ないです。
ごちゃごちゃしていない。

かっこいい建物が広い道のはたに、
ドンと、そびえてる。

僅かな車、僅かな人。

今と比べれば。


3-3-4

明治期くらいの小引き出し。



大人ドリルは、
子ども時代の夏休みよりも、

少しだけ、こわそうな
顔をしている。

だけど、当時だったら
絶対に解けるなんて思わなかった。

いつの間にか、

そんなのを
与えてもらえるように
なってたんだな。

一枚ずつ、やってこ。


3-5-3

この引き出しは
100歳以上。

私たちは、
道具より長生きができない。

先は短め、だけど、

小川の一生は、
連綿と続く。

流れ着く大海で、
みんなと一緒になる。

宗教的な話ではなくて。

ひとりがつくる世界が、
みんなの日常。