小川がうまれてから、
晴れた日には輝いて、
誰かがお洗濯したり小鳥が水浴びしたり
笑顔が歌があふれる。
雨の日には氾濫して、
誰かが泣く声も聴こえない、
大きくまわりを痛めつける。
それでも残るのは肥沃な大地。
私たちは、小川に似てるなぁ、
と、この数日、おもっていた。
うまく傷つけることができたら、
そこに恵みの多い学びを、
そんな栄養を残せるだろう。
できたら、ずっと、
自尊心を輝かせるような言葉を
与え続けたいけれど、
それでは、何故だか、
いつの間にやら
淀んでしまうこともあるみたいだ。
私もそうだな。
甘い言葉で虫歯になる。
甘いから、しばらくずっと
わからないんだけど。
投げかけた言葉の行く先は、
受け取る側のモンダイだから、
と、投げっぱなしのボールは
キャッチボールにはならない。
私たちは、
ピッチングマシーンじゃない。
何が違うんだろう。
トラウマみたいに
いつまでも疼きつづける傷なら、
愛がないかも知れない。
言葉を受け取った相手を
萎縮させる、させ続けてしまうか、
が、もしかしたら、
見分けるコツに、
なるかもしれない。
昭和30年の東京散歩。
紙質が良いです。
そして、建物が少ないです。
ごちゃごちゃしていない。
かっこいい建物が広い道のはたに、
ドンと、そびえてる。
僅かな車、僅かな人。
今と比べれば。
明治期くらいの小引き出し。
●
大人ドリルは、
子ども時代の夏休みよりも、
少しだけ、こわそうな
顔をしている。
だけど、当時だったら
絶対に解けるなんて思わなかった。
いつの間にか、
そんなのを
与えてもらえるように
なってたんだな。
一枚ずつ、やってこ。
この引き出しは
100歳以上。
私たちは、
道具より長生きができない。
先は短め、だけど、
小川の一生は、
連綿と続く。
流れ着く大海で、
みんなと一緒になる。
宗教的な話ではなくて。
ひとりがつくる世界が、
みんなの日常。
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