昨晩の出張査定で
譲っていただいた、
「おばあちゃんが
使っていた」という
引き出し小箱。
可愛い、可愛い!
その前々日に
買取した小引き出しが
まだ車内に残っていて、
(写真中央)
積み込みの際に
依頼主様が、
「え?言っちゃ悪いけど、
こんなものがいいの?」
はい、そうなんです…
このズレが
悲劇も生むし、
だからこそ
出会えた時の
喜びは、ひとしお。
昨日の買い出しでは
60くらい廊下に
並べていてくださった
着物や帯の中から、
どれもこれも
新しくて悩みながら、
時代はひとまず忘れて、
10数点を選びました。
藤は時期外れでも
松が可愛い。
お正月ムードに
そっと混ぜ込み、
飾れるかもしれない。
東京の美容室で
いつも着物を
見立ててもらうほど
オシャレだったという
叔母様から譲られた
羽織などは
やっぱり可愛い。
古いものは
無かったなぁ…と
査定を終えかけていた時、
部屋の隅っこに
あった布の塊。
あ!古いのあった!
「それはおばあちゃんの
長持ちの中に入ってた布で、
みんな汚かったから
他のは捨てたけど。
それもゴミだらけで。
無理しなくていいのよ」
こっちです、
うちの買い付け品目…( ; ; )
更に、捨てる候補の
紙袋に入ってた襦袢!
「そんなの化繊系の、
良いものじゃないから…」
いえ、大正後期の
縮緬です…
こちらも、別の現場で
私がピックアップ
していたら、
「おい、
そんな器でもいいのか。
そっけんがぁ、みんな
ほーりなげたて!」
(そんなのみんな放り投げたよ)
※また別の現場から出た布
…数時間前には
同時代のあれこれが、
まだたらふく
残っていたらしい…
本当にこんな悲劇が
日常茶飯事ですが、
例えば15年前、
まだ会社員だった
私が見たら、
同じように
価値もなく感じて、
捨てたでしょう。
大正襦袢。
これも「捨ててはアカン」
やつです。
少しずつ視点が
ズレて、ズレて、
世界の見え方が
変わりました。
✴︎鳥ものに弱い…
捨てる神あれば、
拾う神あり。
どちらもいなくては、
世界は廻りません。
皆んなが同じ
趣味嗜好だったら、
なかなか隅々まで
何事も行き渡りません。
色あせた風呂敷でも、
柄によっては、
欲しい人がいる、
活かせる人がいる。
売れなくても洗って
古道具を包むのに使うと、
外国の方には特に
とても喜ばれます。
同じ土地に
住みながら、
様々な価値観が
共存しているから、
私もここに
居場所があります。
「こちら側」にズレながら、
「そちら側」の感覚も
分かる。
貴重な古いものが
捨てられる前に助け出す。
そうして手渡す。
微力でもずっと
古いもの達の通訳者、
仲介者で
あり続けたいです。