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まだ余韻…
打ち上げ時にきいた話のメモ。

→テンジンさんは基本的に独学で音楽を学んだ。
 あのチベットの弦楽器も、
 独自の引き方(かき鳴らす)のようです。

→現在、奥さんの故郷オーストラリアと、
 ヒマラヤ越えした後に暮らした
 インドのダラムシャラを往復の生活。

→ダイライラマ法王に教えを頂く為に、
 このあと大阪へ向かう(過去三回、直接にお会いしている)。



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冬前に火鉢はいかがですか〜。大正期位。
完品3,500円 ヒビ入り1,000円(←睡蓮鉢に使えます)

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伊万里のソバ猪口。幕末〜明治、
完品で数が揃っています。

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器はひとつだけでも販売可。

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以前なら買い取りしなかった、
戦後の布(合繊、ウールが多め…)。

着物リメイクやパッチワークなどしている方に、
この時代の着物がドサーーーーと
集まったりもしますが、

全ての方にそんなルートが
引かれてる訳ではないし…

ひとつひとつ見れば
とても魅力的な素材なので、
ネットでもまとめて出してみましょうか。



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季節の味覚、菊の花。
ぜんぶむしって、甘酢に浸しました。
大好物。

子どものころも、お爺ちゃんが育てた菊が
頻繁に食卓に上っていました。

更に大量のレンコンがやってきたので、
明日はレンコンと菊のチラシ寿司か。



朝イチに買い出し。

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母屋は築200年とのこと。

玄関が昭和30年代。
この時代の作りもかわいい。杉板とか。
住まうのは、80代のお婆ちゃん一人。

留守宅だと分かって危ないと言われ、
行く先を黒板に書いていた黒板は
もう使われていない。

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広いお家だけれど、
古さに反してとてもきれい。

家の前をのっぺりとコンクリートで
固めてしまう人が多いのに、
見た目が良くないからと
砂利を敷き詰めた。

ぼこぼこしてホウキが使えないので、
隙間に映えてくる草を抜き、
落ちてくる葉っぱを丁寧に拾って
きれいにしている。

心地よさを受け取るために、
手間ひまをかけておられた。

11-10

初めて間近で見ました。
のろしの筒!450年くらい前のものかな。

蔵の中から出したら、
竹のタガが何本も外れてしまったそう。

坂戸山から六万騎山まで、煙で情報を繋いだらしい。

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火縄銃。これも400年以上前か〜。

1601年、米沢に移封となった上杉家に
ついてゆく事になったご先祖様。

いつ戻るのか分からないので、
実家では長女が婿をとって家督を継いだ。

そのうち米沢から帰還した際に、
持ち帰ってきたのが、この火縄銃。

屋号を〈隠居〉として
あたらしく居をかまえました。
(次男以降の場合は屋号が〈新宅〉となる)

農地解放の前までは地主さんだったそうな。
家の歴史、面白い。



お婆ちゃんはとてもオシャレな方で、
手作りの腕前もすばらしかった。

(メリンス着物で作った、お正月にしか使わない
パッチワークのこたつがけとか)

立派な床柱が古いわりに、
やけにきれいだなと思ったら、

旦那さんが元気だった頃に、2人して
苛性ソーダでピカピカに磨いたのだとか。

釘を使っていない立派な天井板も
真っ黒だったので、
全てに番号を振って外して洗ってから戻したら、
素人なので隙間が…

屋根裏の茅葺きについた煤が時おり、
板と板の間からパラパラと落ちてくる。

旦那さんを亡くされてから、
20年近くたつ。

自分の方がどんどん年を取るから、
もう年を重ねられない夫と
親子みたいになるのがイヤ。だって。

女心だなぁ…



コタツに入って、
昔語りをしていただけた。



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昔はとなり村へ出るのに、迂回路を通って数時間。
(もちろん徒歩。現在はトンネルが通っている)

山菜採りの道が出来ていたので、
若い人たちは山越えをした。日常的に。



かやぶき屋根を20年前に
トタンで囲った。

その前は雪掘りがたいへん。
命綱をつけて、てっぺんから掘っていく。
(下から掘るといっきに崩れて危険)

くるくるとリンゴむきのように、均等に。
掘り方が偏ると、屋根が傾いてしまう。



女学校に入って2年生の時、
昭和19年に学徒動員。
柿崎で旋盤工をやった。

学校に通えているときだって、
畑で食料を作ったり
勉強どころではなかったけれど。

2年生のとき、学校の授業から
敵国の言葉として英語が消えた。



教員が兵隊としてとられて
不足していたので、

小千谷にいき6ヶ月の教育を受ければ
教員免許が貰えた。

資格を取った直後に終戦。

9月から教壇に立つが、まず最初に
教科書に墨を塗る事から始まった。

修身や歴史の教科書なんて、
ほとんど何も文字が読めないほど。

先生になる為の学校でも
戦時下の教育法を習っていたので、
180度ちがうことを教えなくてはいけない。



戦時中はお米は供出して、
白米だけのご飯は、盆と正月のみ。

戦前から、
いるご米の粉で作った
〈やくもち〉というおだんごが
定番の朝食だったけれど、

戦中は配給がとうとう
どんぐりの粉になった。

調味料もろくになかったので、
作っただんごは、美味しくなかった。
(縄文時代の暮らしだ。栄養あるのね…)

布も配給制になり、
チケットを持ってとりにいくと、
家族に手ぬぐいが数枚。
着物なんて作れなかった。

(てぬぐいだけで作られた襦袢を
何度か見た事があります…)

育ち盛りだったから、
四六時中、お腹がすいていた。

小千谷時代、実家から送られてくる
炒り豆やあずきをポリポリ食べるのが
美味しかった。


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話が分かりやすくて
質問へのレスポンスも早い、
いつ何があったかをしっかり
覚えているお婆ちゃんだった。

買い出しにいくと(時間に余裕があれば)
昔話も聞いてくるようにしている。

お爺ちゃんお婆ちゃんたちは
いつでもおいでと言って下さるけれど、
なかなか再訪できていない。

その時が初対面で、そのまま
今生の別れになっているかも…

(数年後に近所の蔵を壊すよ〜と連絡が来て、
再びお会いできるような事もあります)

ご縁は不思議。
また、お話を聴きに行こう。